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2005 新年を迎えるに当たり

毎年、年賀状は1000通も来ます。一人一人へのお返事が能力を超えてお り、同じラボの人にはメールでご容赦願っています。また、このメイルは来年 新しく迎える菱川大介君、馳桃子さんにも出しています。長いですが、興味の ある人はお読みください。ラボでは順調に論文も発表され、研究は軌道に乗り つつあります。また、研究者の回転も進み始めました。スウェーデンでのUT Forumや学会などを通して、多くの貴重な経験が生まれました。昨年を振り返 り、また、今年の抱負を述べます。

昨年を振り返って最初に思うことー暗くて危険な時代 
 暑い夏が終わったら急に冬が来たような一年でした。季節感の喪失と加齢に伴 う歳月の加速感はじっくり考える時間を奪っている様に感じます。昨年は災害 と戦争の年でした。不正義な戦争が堂々と行われ、世界の一千万人を超える人 がネットでの呼びかけで街頭デモを行いましたが、現実の政局にはほとんど影 響を与えず、米国史上まれに見るインチキな大統領が前回以上の得票率で再選 されました。こうして無力感が無気力(apathy)を生産し始めていま す。イラ クのボランティアや家族が反戦を唱えたら、「自己責任」という名で 大きな バッシングの波も起こりました。支えるのでなく非難する声が民衆から出る ことの異常さと不気味さは言いようも無く、ファシズム前夜を思い起こさせま す。? 私の尊敬する人の一人に姜尚中東大教授がいます。彼が日本を代表する マックスウウェーバー研究者であり若手哲学者の宮台真司さんと対談している 「挑発する知」、また、姜さんの自伝である「在日」、そしてテッサモリスと の対話 「デモクラシーの冒険」をこの秋読みました。この三冊はいずれもこ うした閉塞感のある世界をどの様に考え、変えていくかを示唆してくれるも のです。今、ここで価値観の押し付け をするのは姜さんの意図でもないし、 また、もちろん私の意志でもありません。ただ、最後の本に書かれている 「あなたは今の世の中が住みよいですか?住みよくすることが可 能ならそれ を望みますか?」「すべての人が世間に迷惑をかける権利を認めますか?」 「正義と思うことを主張できますか」などの問いかけは大切なポイントだと 思っています。考えないこと、 行動しないことが罪になる時代に私たちはさ しかかっているという危機感があります。実験の合間に、小説を読んだり、社 会の勉強をするのは大切なことで す。単に気分転換と言うことではなく、私 たちは研究者である前に人間であることを再認識するために。また、研究の目 的や生き方を考え直す機会となるように思 います。「気がついたらナチスは 教会を攻撃していた。反対しようと思ったが遅すぎ た」(ベルリン在住の牧 師の言葉)。皆さんは大晦日のさだまさしの歌を聴きましたか?

私の行動の原理ー大学執行部や科学官となって考えたこと
 正義や社会に目覚めたときから私の価値観は「弱者への共感」「多様性の尊 重」「自由意志の重視」で貫かれているように思います。中学生の頃から、 小説を読みふけり、社会をのぞき見、またかなり進んだ教育を高校で受け、 大学時代には学生運動もして、そうして身に付いてきた「感覚」と言っても 良いでしょう。皆さんにはまだ話していませんでしたが、昨年4月から文科 省の「科学官」(Science Advisor)という役職を勤めています。これでも立派 な(?)役人の身分もあるのです。週に1回程度文科省の会議に出席して意 見を述べるのですが、私の主張は「基盤校費の削減反対」「過度の競争資金 増加反対、トップダウンは出来るだけ減らせ」「首都大学の様な進め方が許 されるのか」など過激なもので、当然相当の反発を招くと覚悟していまし た。ところが、なんと他の科学官や専門委員(各大学の教授、助教授もアド ホックで参加します)も概ね 同じ意見、考えれば皆、団塊の世代、大学紛争 の同世代なのです!もちろん、私は「脂質生物学がいかに大切か、今、その 謎が溶け始めている!!」 と強調することも忘れていません。こうした努力 が少しは 効果があるのか、 あるいは単なるガス抜きか、もうしばらく様子を 眺めることにしたいと思っています。このような過激な意見とともに私が持つ 一種独特のスタンスは「バランス感覚」です。皆が同じように揃って主張始 めると、なぜか引き気味にな ってしまい、「本当にそれで良いの?」と水を 差すのです。最初に言い出したはずなのに、「あれ?!?」と いう感じで 皆、困惑した様子を見せます。それ行けどんどんで進むのが本能的に怖いので す。医学部の新コースでも、メディカルスクール構想でも、また、混合診療の 提案で も、私の中でアラームが発せられます。こうした習性は暴走の歯止め になってはいると思いますし、討論を深めるためにあえてする問題提起です が、単なる保守主義との区別は微妙なところです。

脂質生物学に未来はあるかー今、なぜ脂質か
 脂質は水に溶けにくく、取扱いが難しい、このことが研究を難しくし、また、 間違った多くの論文を作ってきた。しかし、脂質が無ければ細胞は誕生しな い。こうした単純な事を繰り返し述べてきました。文科省の会議でも独立行政 法人科学技術振興事業団でも、そしてボトムアップ的な手法として、羊土社で 本を編集しました。お陰様で、この本は「わかるシリーズ」で記録的な売り上 げをしているそうです(印税には影響しません。念のため)。興味が高まるの は有り難いことです。脂質生物学は既に述べてきたように 脂質の持つ三つの 非常に重要な機能(膜成分、エネルギー源、シグナル分子) とこれら脂質を 網羅するデータベース作成に要約できます。私が京都にいたときに、早石先 生はプロスタグランディンを、沼先生はリン脂質の合成を研究していました。 その他、我が国で多くの先駆的研究が進んだ事は「脂質生物学がわかる」の 概論に詳述しております。シグナル分子を中心とする私どもの研究は産生酵 素の研究、Gタンパク共役型受容体の研究に集中してきました。脂質シグナル 分子そのものを系統的に捕らえるという考えと手法が北君と高橋さんの素晴 らしい共同で進み、こうしてミッシングリンクが捕らえられつつあります。メ タボローム講座でリン脂質を系統的に捕らえるという試みと相まって、これ は画期的な進歩を研究室にそしてこの分野にもたらしたと思っています。受容 体の研究はある程度自律的に進むところまでラボの力はついてきました。成果 も上がっ てきました。これらの成果はまた新しい研究課題を提起しており、 BLT1, BLT2, CysLT2, Lpa4, G2A, TDAG8を初めとする受容体の生体での機能の 解析は 大きな課題となっています。横溝助教授、石井講師の二人の努力が大 きく研究を発展させていると思います。一方、肝腎の脂質代謝酵素はどうで しょう。大戸さんが魚住君の指導で進めた新規ホスホリパーゼA2の研究は大き な飛躍の種を作りました。論文は改訂中ですが、おそらく4月頃には世界に発 信出来るで しょう。そうしたら、短期間で精製酵素をたくさん取らなくては なりません。遺伝学的研究、抗体作成、細胞内局在など多くの研究課題が待 っています。東君が開始 している酵素と併せて新たに5つの分子の個体レベ ルでの機能を明らかにする のが次の数年の大きな課題です。進藤君の今年の 年賀状も例の酵素を捕まえま す!とあります。一番難しい仕事です。しか し、一番インパクトも大きな仕事 です。新人もこれらのプロジェクトに参加 します。今年は酵素の年にしたいと思い ます。もちろん、ホスホリパーゼ A2の先にはアシル転位酵素という大きな世界が待っています。わくわくするよ うな年になりそうです。大いに冒険をし、清水研とメタボローム講座の力を世 界に発信した いものです。

考え、実験をしているだろうか
 大きな発見にはセレンディピティーがつきものです。例えば、私自身の経験を 言え ば、PG endoperoxideからのヘムとグルタチオンによるHHTの産生される こと。 5-リポキ シゲナーゼがdual activityを持つこと。LTA4水解酵素 が peptidase活性を持つこと、などいずれもそのようなものです。これらはいず れも私が助手、助教授 時代、つまり40代初めまでに行った研究です。数多 くの実験を注意深く進め る中で遭遇した偶然を見逃さなかったのは自分の観 察力と相談にのってくれた友人のおかげです。また、それまで実に多くの実験 を繰り返し再現性を見た粘りの結果でもあります。現象を発見すると次にその 物質的な基盤 を考えたくなります。そこで大切なのは化学です。私は「わか る」の中で「生 化学を知らない分子生物学者になるな」と書きましたが、さ らに言えば、化学を知らずに生化学は理解できないと思っています。うちに は、奥野君、井原君、吉川君、他にもたくさん化学に強い人がいます。どう か、その力を発揮して下さい。物質の理解が出来ても因果関係や上流下流の解 析は必ずしも上手く解けません。それには遺伝学的手法や薬理的発想が必要と なるでしょう。 ? もう一つ例を挙げましょう。サザンブロットが上手く行かない、こういう経験 は非常に大切です。そのときは苦しいものですが、サザンとくにゲノムサザン をやれる機会は実はあまり多くありません(やった人何人いますか?)。ノザ ンは難しいのですが、結果が決まっていないので、間違ったかどうかが判別し にくいのです。バンドが見えないと、発現が少ないと考え、移動度が違うとプ ロセッシングの途中じゃないか、とか、また、本来実験で重要であるべき定量 性もノザ ンでは甘めに見られる傾向がありました。ゲノムサザン、特に ES細 胞のスクリ ーニングは定量的な結果を強く要求されます。ここにはDNA操 作、制限酵素処理、ブロッティング、プローブ作り、ハイブリと洗浄の条件決 めなど遺伝子工学全般に必要な基礎操作が多く含まれています。昔は制限酵素 も自分で単離していたのです。現 在、コンピcellの作成は各自が交替で行っ ていますが、いくつかの重要な基本操作 (ハイブリ、サブクローニング特に ライゲーションなど)の初期講習を新人 (+希望者)に行う予定を考えてい ます。 ? このような技術的なことに加えて、さらに大切なのは、「この実験は何のため にやっているのか」「自分が発したいmessageは何か」という問いかけでしょ う。私自身は細かい実験技術をアドバイスすることが出来ませんが、実験の目 的、方向、意味合いなどはいつも考えていますし、討論出来る準備はいつでも あります。多くは論文をまとめる際に一人一人と読み合わせて討論し、集中的 に一緒に考えていますが、実験の折々に必要でしょう。実験を一通りすませる というのは研究ではまだ半分(以下)にしかすぎず、そこから、ストーリ ー を作り、主張を作り、 論旨を明確にする、これがサイエンスそのもので す。 昨年は論文は順調に発表できたと思っています。また、現在審査中、ある い は改訂中のものが5つあり、さらに1月に投稿予定も数編あります。スタッ フ自らが論文を書き、また、大学院の早い時期にデビュー論文を出すという昨 年年頭のメッセージ以降は多少進歩したように思います。

ラボを動くことの勧めー助手も、PDも、院生も
 私たちの研究室は東大医学部でも有能と評価されている二人のシニアスタッフ (横溝、石井)に長いこと支えられてきており、実際、私がかなりの公務をこ なせているのもこの二人のスタッフの献身的な努力のおかげです。考えれば、 栄養時代から和泉君、南さん、本田君、尾藤君、中村君、粂君、魚住君とこう した支える人々がいたお陰で、現在の教室が出来ています。講師以上の人の動 く先はそう簡単ではなく、回りからどうこう言えるものではありませんが、 若手助手、PDは早めにラボを動きましょう。ラボを見つけるのもその人のサイ エンス の力の一つです。また、大学院生でも論文が出来、仕事の区切りがつ いたら、 途中で国内外に移ることは可能です。私個人にとっては寂しい事で すし、ラボの活力も一時的には落ちますが、長い目で見るとラボのためにも、 また、本人のた めにもプラスになると信じています。違う環境で、違う師匠 につき、違う友達 と、違う研究テーマで研究をする。ベンチャーに行くのも 良いし、また、企業から大学へ戻るのも良いです。このラボは私の退官までは 脂質生物学を貫きま す。退官後もこの魅力あるテーマはどこかで続ける事と なるでしょう。違う環境で大きく成長して来た卒業生をまた、自分のラボに迎 えることが出来たらどんなに嬉しいでしょう。それが私の教育者としての理想 です。また、同時に言っておきます。どうしても研究に興味が持てない人、た だ、ルーチンを目的意識無く続けている人。そのような人は苦労して大学院を 続ける意味はありません。一日でも早く別の生き方を探すことが自分のために も最も良いことです。

最後に、私生活ーお礼も込めて
 お陰で研究科長・学部長になるのは逃れることが出来ました。永遠に逃れたい のですが、2年後はわかりません。また、2年後(2007年)は日本生化学 会会頭です。お手伝いをお願いすることになりそうです。地道な研究に対して は国内外から一定の評価を受けています。お陰様で体力には恵まれ、運動も欠 かさず やっています。孫は可愛く成長し、次女の送った初シューズで外を歩 き回 っています。清水家初めての男の子に家族中が喜んでいます。次女も外 勤となり、少し余裕の出来た時間を利用して趣味(テニス、ピアノなど)を再 開しています。若すぎる時代に子供をもつと本当に「貧乏物語」で苦労します が、 その分、この年になると楽です。早婚を勧めるわけではありませんが、 何事も 若い体力のあるうちに。最後にラボが無事に運営されているのも多く のスタッフや研究者一人一人の日頃の努力のお陰です。また、三人の秘書さ ん、二人の補佐員の方(橋立さん、浜野さん)とバイトの学生さんの陰の支え が無ければラボの運営は出来ません。また、忙しい中HPを維持してくれている 木村君、加藤君にこの場を借りて感謝します。

 では、引っ越しを控えた本年が皆さんにとって良い年となるよう祈っていま す。長々とした独りよがりの文章を最後まで読んで下さった方に感謝します。

田沢湖鶴の温泉