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山田財団のご援助に感謝(山田財団2005年年報)

山田財団から寄稿を求められた時、最初に思いつくのはやはり故沼正作先生のことだった。恩師である早石先生については色々なところで話す機会があるが、今回は沼先生との話を含めて執筆したい。もちろん、本邦初公開である。と言うのは当時としては巨額である150万の留学費用を財団に推薦して下さったのも、生活苦の私を見かねて、しばらく現職で留学して良いと許可されたのも沼教授であったからである。

もう四半世紀以上前になる。私は京都大学の医化学教室で助手をつとめていた。切磋琢磨しあう素晴らしい研究環境だったが、ストレスも多かった。両教授がいないのを良いことに、医化学の建物の前で昼間、堂々とテニスをしていたら、戻ってきた沼先生に見つかりひどく怒られた。「うちの教室員まで誘わないでください!」。それ以降、私は川端通り沿いのコートでテニスをすることとなった。

7年間の早石研究室での修行を終えて、私は希望に燃えながらパスツール研究所かカロリンスカ研究所への留学という贅沢な悩みを抱えていた。パスツール研では娘のための日本人学校まで探してくれていた。タンパク化学をしっかり身につけていた私に期待されているのは当然、アセチルコリン受容体の精製である。神経科学をしっかり勉強する良いチャンスだと思った。しかし、不安もあった。留学すると最初は半年くらいフランス語を勉強しないとサラリーが出ないということ、それよりさらに問題だったのは、当時沼研で成功し始めた遺伝子工学による神経科学への接近であった。私の留学の半年ほど前に、沼教授はつかつかと私の横に来られ、「アセチルコリン受容体の材料は何が良く、それはどの様に入手できるか」と聞かれた。私はシビレエイの研究をされていた岐阜大学の先生をご紹介したが、「これは下手をするともろにぶつかるのではないか」という不安がよぎった。私は治安や言葉のこと、また、北欧への漠然とした憧れにより、最終的にカロリンスカへの留学を決めた。この決断は、脂質メディエーターの研究から離れることが出来なくなった運命的な留学となったが、私の予想は的中し、出発から1年も経たないうちに沼研から受容体クローニングのネーチュアアーティクルが大々的に発表された。分子神経生物学の誕生の日であり、世界中が興奮したが、私の安堵感は誰も知らなかったはずである。

カロリンスカの留学は楽しかった。最大の収穫はカルチュアショックであった。留学の印象はその詳細を記載しているので(蛋白質核酸酵素29,486-489,1984;日本医事新報ジュニア版262巻、15-16、1987)、そちらを参照されたいが、何より男女共同参画、高負担高福祉、他民族の受け入れ、環境保護、安全思想など学ぶことばかりだった。「私たちの国より一世代は進んでいる社会」と前述の印象記に書いたが、今、差はもっと大きいかも知れないと感じている。東京に職を得た私は帰国することにしたが、この国を大好きになった家族3名は残り、スウェーデン的民主主義で、私一人で帰国する羽目にもなった。こうした異文化を知ること、そして、何より大切なことは世界から集まっている多くの研究者と知り合うことである。多くの研究者とはその後も共同し、情報や分子のやりとりを続けている。また、米国研究者とヨーロッパの研究者の気風の違い、中国人のハングリーな頑張りなども印象的だった。

帰国後は必死の時間が続いた。自分が全てに責任を持つようになった。研究費を稼ぎ、論文を書き、懸命に実験を続けた。90年頃、たまたま中西研へ遊びに行った私に対して、沼先生が芝蘭会館でご馳走して下さり、初めてねぎらいの言葉を頂いた。PAF受容体のクローニングに成功した頃である。「清水さんは頑張っていますね。100%研究に没頭していますか?」。それは当時病魔と闘いながら研究を続ける沼先生でなければ言えない様な迫力のある言葉だった。今、研究費の申請書で%エフォートという数字を書くとき、私はいつも悩んでしまうが、なぜかこの時の沼先生の言葉がよぎる。

91年に東大教授になってからは、何か、坂道を下るような速度で時間があっという間に経っていくような気がする。気づいたら中年をとおに越えて初老である。2年前のある日、娘に「パパはおじさんでなく、もうおじいさんだよ」。そう、孫が出来たとの宣告だった。自分で実験するというより、後輩や院生のためにどの様に良い研究環境を作るか、また、研究費をどの様に稼ぐかを考えるようになっている。山田財団とは縁が無いが、多くの民間財団の審査委員になったり、理事になったり、あるいは政府関係などでも役目が色々回ってくる。自分にとって良いことと、大学にとって大切なこと、日本全体の研究社会にとって良いことがしばしば乖離する。アンビバレントな状態に引き裂かれ、先が見えつつあるこういう時代は「研究者の更年期」で誰もが多かれ少なかれ経験しているに違いない。この時期をいつ、どの様にリセットするか、それが今最大のテーマである。もともと、大胆でかつ楽観的性格である。今、急速に面白くなっている脂質生物学への傾倒と啓蒙だけではすみそうにない。脱線続きの雑文となったが、色々な意味で私の人生の転機となり、また、研究の方向を決定づけた留学にあたり、多大なご援助をうけた貴財団に心から御礼申し上げます。

東大医学部生化学・分子生物学 教授 清水孝雄